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まず、オーガニックとは何であるか、オーガニック認証制度とはどういったものであるかということをお話させていただきたいと思います。
今年4月の改正JAS法施行に伴い、オーガニックという言葉が、ほとんど毎日どこかの新聞・雑誌等々で報じられています。では実際オーガニックとは何なのでしょうか。まだご存じない方が多いと思いますので、ご説明したいと思います。
オーガニック農業と一般農業の違いですが、オーガニック農業は作物に直接栄養を与えないで、土の中に含まれる微生物が間接的にいろいろなところから養分を作り出していき、その作り出された栄養で作物を育てます。そして当然その際には危険な化学物質は用いません。オーガニック農業におきましては、それが唯一の定義です。無農薬ですとか、無化成肥料であるとかいろいろな言葉があるかと思いますが、私は先に述べましたことが唯一の定義であると考えています。土の中の微生物が栄養を作るわけですから、当然それを殺してはいけないのです。
一般農業(そういう言葉がふさわしいかわかりませんが、現在おこなわれている通常の農業のことです)においては、作物に直接栄養を与えます。中学校くらいの理科で習ったかと思いますが、窒素とリン酸、カリという物質を決められた割合で与えると植物は育つ、極めていい成長をします。またたくさん収穫できます。それを地域ごと、作物ごとに作成されているマニュアルどおりに与えるとできあがる。こんな風に大量の作物がたやすく作られるようになっています。そうしたやり方も初期の頃は補完的に与えられていただけでした。昭和30年代頃までは、土中の微生物も生きていたと思います。しかし今、昭和が終わって平成になっているわけですが、ずっと何十年も化学肥料を与えられた土地には、ほとんど微生物がいなくなっています。そうすると上から与えられるものが、その植物にとっての主要な栄養ということで、先ほど申しあげた窒素・リン酸・カリの割合がそのまま植物に入っていく。また除草剤も使用します。例えば畑にたんぽぽが生えたとすると、そのたんぽぽは自分の好きな栄養をとってしまう。すると栄養分のバランスが崩れてしまって、肥料メーカーが開発したベストな割合で植物に吸収されないので、肝心の作物はいい成長ができない、だから除草剤が必要になるのです。また、微生物が発生したりすると、定められた条件に合わなくなる原因になるので殺してしまわなくてはならない、だから農薬も撒きます。少し極端な例のあげ方をしましたので、農薬メーカーや肥料メーカーの方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。
なぜ今、一般農業ではなくオーガニック農業なのかと言いますと(ここで2枚の写真説明。ある2月のボルドーのぶどう畑。1枚は一般農業による畑、もう1枚はオーガニックの畑。一般農業の畑は土のほか何も見えず寒々としているが、オーガニックの畑は雑草が茂ってたんぽぽも咲いている)
一般農業の畑はもちろん化成肥料を使い、農薬も使っています。オーガニックの畑の方にはたんぽぽが生えています。そこは実際1968年に有機転換しているのですが、それから何十年も全く化学肥料も農薬も使用していません。この差というのは実は非常に大きなものでして、冬の土中の温度が違うのです。私はドイツ、フランスに10年くらい在住していたのですが、冬のぶどう畑というのは、ずっと一般農業の方のような景色だと思い込んでいました。こんなふうに何もなくなってしまうものなのだと。しかし、オーガニックの畑のようなものが存在するのを見ると、化学農業が導入される前のフランスの冬のぶどう畑は実際はこんなふうだったのではないかと想像するわけです。
この2枚の写真の違いは何かと言いますと、オーガニックの畑では微生物が土の中で活動している、生命があります。しかしもう一方は微生物がほとんどいない状態だといえます。調べたわけではないのですが、現在ボルドーの通常のぶどう畑には微生物の量がサハラ砂漠並に減っている、そんな風にさえ言われています。生きた農地ですと、1gあたり10億個の微生物がいる、それが健康な土だそうです。どうしてこれが重要かと言いますと、地球と言うものを人間の体に例えてみますと、細菌か何かが侵入したのが原因で皮膚が荒れたとします。そしてそこがひび割れてきたりします。そこに何かホルモン剤のような薬を塗ると、いったんは治癒したように見えて、後々もっとひどい状態になったりすることがありますね。ボルドーの畑もそんな状態だったのではないか、だとしたらオーガニックの畑のような状態の方が健康なのではないか、そう考えるのです。
オーガニックを行うときに非常に大切なことがありまして、適地適作ということがあります。現在、私たちの生活を支えている農業は適地適作ではなくなっています。本来日本と言う国は、多くの種類の作物を作っていましたが、だんだんお米の単作農業になっていきました。そのほかにも、例えばキャベツが高く売れるとなったとたん、大根を作っていた練馬区の畑がみんなキャベツになったり(今はすっかりなくなってしまいましたが)。つまり向いているかいないかより、売れるか売れないかということが農業の基本になっている。そしてこのことは、実は土地に対してすごい負担をかけているのです。本来そこに作れないものを無理やり作ろうとすると、先ほどの窒素・リン酸・カリをその作りたい植物に合わせて入れ込む形になります。気候に合わないなどの理由で病気になったりすると、そこに農薬を撒きます。草がはえて困るとなると、除草剤を使用して駆除する。現在の除草剤と言うのはずいぶん改善されたそうなのですが、1960年代ベトナム戦争でアメリカ軍が撒いた枯葉剤というダイオキシン、これの濃度を変えたものがそもそもの除草剤で、ある程度の強い植物は大丈夫だけれど弱い雑草は死んでしまう。これは大変危険な、先ほどの皮膚にとんでもない薬を塗っているのと同じことになります。したがって土地にすごい負担をかけていることになる。
土地の固有の自然との共存も重要です。土地と言うのはその温度や気候、そしてその土地のもともとの性質、例えば石灰が多いとか、そういった特徴があります。そしてそこには、その土地にできる雑草や、生物が生育しています。先ほどのボルドーの写真で見ますと、オーガニックの畑にはハーブなんかも生えています。この自然環境と一緒に育てることで、農薬などを与えずに作物は育っています。そこで一緒に育てるものは、よそから移植してきたものではなく、その土地で何百年も生育してきたもの、それであることが必要です。実はフランスでオーガニック農業を実践しているところをめぐっていますと、売れるからではなく、そこで作りやすいからという理由で品種選択に取り組んでいることに気付きました。そして話をいろいろ聞いているうちに、昔からあるものを作れば、何かを切り捨てることもなく、しかも作りやすい、そう感じたのです。ですから大切なことは、今売りやすい作物ではなく、今後も作りつづけられる作物を作っていくということで、これがオーガニック農業の基本的な精神であると考えます。
今売れるものをオーガニックで生産しようとすると、先程の原則に従って生産しないということで、またその他様々な要因によって、作りにくいものになっています。一般農業と言うのは生産性が高いものです。そもそも化学肥料が導入されたのは、厳しい気候条件で生産が難しく生活を支えることができない地域です。それによって戦後の食糧難の時代を乗り越えていくことができたのです。そういう意味で化学農業と言うのは、すごく私たちの生活に貢献をしてきているものなのですが、そうした一般農業は生産性が高い。するとコストが低くなって値段も安くなり、大量生産も可能となります。増加する人口を支えてきた、そういう農業です。それに対して、オーガニック農業と言うのは、化学農業が導入される前の段階を考えて頂きますと、何分の一かの人口しか支えてこなかった、そういう現実があります。それは否定できません。ですから化学農業全部が悪いと言うわけではありません。オーガニック農業は生産性が低いので、コストが高くつき、さらに少量生産になってしまいます。
オーガニック農業の高コスト要因は、単位あたりの土地生産性が低いということです。たんぼ一枚あたりの収穫量が少ないと言うことです。ぎりぎりまでたくさん化学肥料を入れていきますとたくさん収穫できるというのが化学肥料の特徴ですから、それを否定するとなると当然その土地の持つ力分だけの生産しかできません。そして高い労働コスト。先ほどの写真のような雑草がいっぱいの畑。私ぐらいの年代の方であれば、収穫が済んで翌年田植えが行われるまでのたんぼというのは、れんげなんかがたくさん生えて、それを鋤き込んでそれを栄養として育てていたのを記憶されているかと思います。オーガニックは今でもそれをずっと行っています。それに堆肥です。例えば剪定した枝などを全て使って堆肥にしていきます。そうすると労働力がものすごく必要になります。工場で作られた化成肥料を買って撒く方がはるかに簡単です。しかしオーガニックではそういうわけにはいきませんから労働コストがかかるわけです。次に病虫害のリスク。いくら自然と完全に共生させているとはいえ、自然と言うのは突然異常気象が起こったりもします。そうすると病気になったり、害虫が発生することもあります。そんな場合、基本的に切って捨てるしかありません。あるいは燃やしてしまうとか。農薬ができるまでの農業と言うのは常にこうした危険があって、飢饉というものが常に存在したわけです。今それがないというのは農薬を使って、回避することができるからです。
しかしオーガニックを実践するということは、危険な化学物質を使わないということですから、できる限りこうしたものを排除します。もちろん農業と言うのは産業ですから、完全に排除するというわけではなく、なんらかの形で回避する手は打ちます。ヨーロッパの場合、化学農薬導入前から使われていた、ある種の農薬的なものは、最近の合成された農薬ではないので、条件、使用量を厳格に定めて許可するなど、最低限の妥協が行われています。
それから管理された輸送。これは割と忘れられがちですが、作物と言うのは収穫されて、切り取られた瞬間死んでしまいます。死んでしまうと、すぐは大丈夫ですが、2・3日もすれば匂いが発生する。微生物によって分解が始まるからなのですが、これを防ごうとしてポストハーベスト農薬ということがよく使われます。これは農薬と言う場合もありますが、加工食品に使われる原料の場合、例えばワインのぶどうなんかの場合、メタ重亜硫酸カリウムと言う保存料をすぐにかけてしまいます。ぶどうは皮が弱く、つぶれやすく、つぶれれば、すぐに雑菌に汚染されます。しかし、この薬品を使うと、つぶれても雑菌が繁殖せずに協同作業場やワイン工場まで運べます。
オーガニックの場合、こうしたポストハーベスト農薬や保存料を使用してはいけませんから、輸送コストがかかります。さらに保管コストもかかります。保管の方も先ほどの輸送と同じでして、ある定温で保管すればもつもの、例えば4℃の冷蔵庫で管理すれば持つものを、常温で保管しようとするためには薬品を加えなくてはならない。薬品を使わずにとなると、求められる温度で保管しなくてはなりませんからそこにもコストが発生します。そういうことによって、物にもよりますが、生産から流通まで全ての要因が絡んでコストが高くなってしまいます。
これは誰かが払わなくてはならないのですが、それは消費者に求めることになります。生産者がこれまで例えば月30万円で生活をしていて、オーガニックに転換したことで生産性が30%落ちたということで、自腹を切って21万円で生活していくことができるかというとそれは無理で、誰かが代わりにその差額を支払うことになる。これは生産者には負担できないので消費者の方に払って欲しい、ということになります。
消費者側のメリットとしてはまず安全であると言うこと。そして環境に配慮していると言うこと。今だけではなく今後もずっと作りつづけていける農業と言うことで、私たちだけではなく、私たちの子孫もずっと食べつづけていくことができるという、安全と地球の環境に貢献するということです。そしてレジュメにはかっこづきで書かせていただきましたが、オーガニック食品は大体においておいしいということです。全てがおいしいとはいいません。その土のもつ力、あるいは作り手さんの力、経験とか技術が大きく左右します。管理された化学農業では肥料会社が作成したマニュアルどおりにすればできるはずなのですが、オーガニックはそういうものではありませんから土地や作り手の力がそのまま反映されます。気候なんかも味にずいぶん作用します。
こういうオーガニック食品に対して消費者に支払いを求める以上、オーガニックであるということが本当でなくてはいけません。これはすごく大事なことですが、大事なことがおざなりにされているというのが、食品業界です。食品メーカーは、同品質のものを大量に生産販売をします。またテレビコマーシャルなどをしますし、そして、投資家・株主のために儲けなくてはなりません。ということでかなりなことをします。本当を大事にできるメーカーはあまりありません。
本当であることの担保として認証制度というものが必要です。実はこれが現在マスメディアとかで言われている、JAS有機認証制度というものです。これが認証するものはおいしさではなく、生産方法です。オーガニックの制度に基づいて生産されているか、あるいはその基準に従って輸送されているか、そういったことが認証されます。
今日本ではどうなっているかと言いますと、オーガニック・有機・無農薬・天然・自然・健康、など無数の言葉が氾濫しており、それぞれの言葉が一体なにを意味するかと言うと、消費者は理解できないと思います。いろんな言葉がありすぎます。これはちょっと強い言葉ですが、意図的あいまいさを生み出して儲けている人々がいる、そういうマーケットができてしまっています。このようにいろいろな言葉が意図的にあいまいに使われてきてしまったことによって、オーガニック・有機といったときに、消費者の信用が実はあまりないといった状況がおきています。オーガニックというものは、先ほど述べたとおり、コストが高くつくものです。しかしそうした背景を消費者が理解してはじめて高い代金を支払えるわけです。なんでもいっしょくたにされた状態で高くてもいいのかというとそれは問題だと思います。JAS有機制度ができたことで、今度は、例えば特別栽培や減農薬だとかそういうものまで認証しようという動きがあるようです。本来あいまいであったものをさらに、消費者に目隠ししようとしている、という気さえします。
また、JAS有機というものがここで始まったということ自体も、大変混乱を招いています。オーガニックという認証を受けようとする者が、既に信用崩壊を起こしてしまっている。そういう状況です。例えばスーパーマーケットなんかにオーガニックの生産物、あるいは輸入品なんかを持ち込もうとすると、普通のものと同じ値段だったらオーガニックをもらうよ、とバイヤーさんに言われてしまう。これは非常にたくさんの方々、会社から聞いています。今までいろいろな別のものと混同されたマーケットしかなかったからです。
特別栽培・減農薬・天然・自然・健康、など無数の紛らわしい言葉、実はこういう言葉を禁止するのが一番いいのです。現在はちょっとわからないのですが、例えば1980年代私がヨーロッパにいたときは、天然であるとか自然であると言う言葉を使ってはいけなかったのです。ある日本の商品を持ち込もうとして、Naturalという言葉が使われていたのですが、それにクレームがきました。先方の厚生省の係官から、天然であると言うことを証明できますかと言われました。工場で作られているのですよねとか、酵素添加はどうかとかいろいろ質問されました。日本人が思っているような通常の自然とか天然とかいう概念はヨーロッパにおいては通用しないのです。最近でこそ、原材料の多い順にラベルに表示するとか、添加物をきちんと書くとか、変わってきたようですが、キャリーオーヴァーなどまだまだ日本では抜け道もあるようです。
しかし、80年代のヨーロッパではそれは既に議論されていました。例えばフランスの場合、オレンジを使ったケーキなんかがあった場合、オレンジと表示するからにはオレンジが何%使用されたかそこまで書かなくてはならなかったのです。それが商品名とリンクされている場合、つまりsoy
sauceの場合、大豆を何%使っているのか。日本の商品の場合、まず脱脂加工大豆、大豆、小麦、食塩、アルコールと大体書かれています。実は醤油の最大の原料は水なのです。ですから、ヨーロッパですとまず水が原料表記の一番にきています。さすがに水が何%かとは要求されませんが、大豆を何%使っています、というのは必要です。そうでなければsoy
sauceになるというのはおかしい。ヨーロッパというのは言葉の国だなという印象を受けました。言葉できちんと定義します。ですから特別栽培というのはいったいなんですか、と。Special
production ですとか、翻訳しようがないですね。翻訳しようがないということは論理的ではないということだと思うのです。ですからこういう言葉を使う場合はよほどきちんとした説明をもって、当局に提出しないと指摘を受けることになります。
こういうのが日本の状況でして、日本のJAS有機認証制度について、ある消費者団体の機関紙編集長の方とお話したときも、全く信用していないと明言されていました。ではどうして信用されないのか、いろいろ考えてきたのですが、食品メーカーのことなど思っても全てがあいまいであり、それがそのままストレートに消費者に伝わっている。そんなあいまいなものが担保になりうるのか、そういう風に考えています。
資料の最後につけていますが、ヨーロッパのオーガニック制度と言うのは非常に成功した例です。なぜ成功したかと言うと長い時間をかけて取り組んできたからというのが大きな理由です。資料には戦後からしか書かれていませんが、実は戦前1920年代からドイツ、オーストリアでシュタイナーさんという人が提唱した、バイオダイナミクスという自然と共生する生き方、自然の摂理にあった、暦に従った農業をしていく、自然に逆らわずまた自然の力を積極的に取り入れるという運動が背景にあるのです。
戦後、労働力がない状態で飢えが蔓延し、土地は荒れ果てている、という状況に化学農業がどんどん取り入れられて復興をしていきました。
1960年代様々な植民地が独立を果たしていく頃、自然への回帰ということで、どういうふうに作物を作っていけばいいか、ということがフランスやドイツなどでは既にまとまってきていました。それが民間の時代になります。民間の人がそれぞれの認証基準をもっていました。フランスの例を挙げるとナチュール・エ・プログレ(自然と成長)という団体がありまして、彼らは自然とともに成長していこうということで自然回帰を行い、自分達の認証基準を設けて活動していました。こうした動きは当時主要国ではどこでも発生していました。
1980年にはフランスでは世界に先駆けて、農業基本法にオーガニックというものが取り入れられました。そして80年代の終わりには、各国ごとのオーガニックの規則が作られました。その後EUの統合が行われ、国境が少しずつなくなっていきました。人の動きとともに商品の動きも当然始まり、そのためには共通の基準がなくては流通しなくなります。そこでヨーロッパの制度が統合されて、この有機の制度も1つに統合されました。
1991年に欧州委員会の指令によってヨーロッパ全体に対するオーガニックの基準が設けられました。そして加盟各国は1993年までに法体系を整備し施行という形になりました。そのことによって国際マーケットというものが生まれたわけです。これがもとになって、そのとき全体の1%に満たなかったものがこの10年で3%にまで伸びています。90年代と言うのは他の食品産業は全く伸びておりません。いい時代ではなかったのですが、その中で3倍に成長したということは大変大きな成功であるといえます。それはこのEUが統一した基準が、いかにリーズナブルなものであり、推進可能なものであったかということを表していると思います。
このEUの統一基準、オーガニックの認証制度というものは、国家によるインフラ整備であります。インフラとは社会基盤です。きちんとした制度があって、生産者はそれにしたがってきちんと作ればよいということです。消費者はこれを信用して、安心して買うことができる。消費者が信用して買ってくれるから、生産者はまたそれに応えて作る、そして買う人が増えていくということです。
国家によるインフラと言うと箱物(建築物)を作ると勘違いされがちですが、大切なことは、EUが作ってきたオーガニックという制度には、オーガニックの理念というものが存在するということです。何世紀も後にも農業をずっと続けていこうということですね。メキシコ湾流のおかげで温帯に属してはいますが、緯度的にいうとかなり高く、日本で言えば樺太なみ。非常に寒い場所なのです。一度破壊されてしまうともう戻らないような場所ですので、そこを守りたい。破壊され尽くす前に守りたいという気持ちなのです。そこが京都議定書のCO2問題なんかでもEUは積極的なのに対して、アメリカや日本の姿勢は違うということの理由なのです。そういうオーガニックの基本的精神、合理的精神が含まれた制度でなくてはならない。そしてもう1つ非常に大事なことなのですが、この制度が民間のよりよい品質追求を阻害しないということです。制度が作られる場合、規制を作ってそれにすべてを合わせるよう要求してくる場合が多いのですが、インフラというのは最低限を保証するものです。それ以上努力している人は、それをPRしてもっと高い値段で売ったっていいのです。ただ最低どんなところであっても、オーガニックと名乗るからにはこれを満たして欲しいというもので、だからマークを強制したりはしないのです。日本はJASマークを強制化していますが、私はこれは非常に問題だと考えています。マークをつけることではなくて、オーガニックといえるかどうか、インフラなのですからそれが大事だと思っています。そのためには、あいまいさを排した誰もが納得できる判断基準でなくてはならない。誰もというのは都市にすむ人も生産者もということです。そしてその制度が明確な定義をもち、きちんと運用されなくてはなりません。
明確な監査システム、これはその制度がどのように運営されているか監査されなくてはならないということです。例えば金融監督庁が、金融機関の資産状態を監査する際に、手心を加えるということで問題になりましたね。同様のことが、オーガニックの制度においておこったら誰が信用するのか。債権の投資と、オーガニックの食品を買うという、主婦にとっての投資は全く同じことなのです。だから信用制度というものはとても大事なことであり、きちんと運用されているか、確かに扱われているということが重要なのです。ですから、認証機関が生産者をきちんと監査しているか、その監査の仕方が正しいかどうか、ということを外部の機関が見ていくべきであると考えます。
ヨーロッパの場合、認証機関を国家がきちんと監査し、またその国がちゃんと運営しているかどうかを、その国以外の加盟国が監査します。ですから国際的にも正しいと保証されているということになります。そのことが即ち国際的整合性ということであり、対国内、対外国への説明責任ということになります。
対国際的整合性というのは非常に重要なことであり、今私たちが食べているもののうち、何割が国内で生産されていて、何割が外国から入ってきているかということを考えますと、外国のものを食べずにはいられないのです。ですから外国のものと、日本のものが同じ土俵にいなければならない。日本の物だけがこの制度で、ほかの物はだめです、と言われてしまっては、消費者は生活できません。ですから国際的整合性というものは大事なのです。
複合的法体系の整備、ということもあります。ここに持ってこようと思って忘れたのですが、有機認定された納豆を先日スーパーで買いました。3個パックで確か98円か何かでオーガニックなのに既に特売になっていました。これは発泡スチロールのような容器に入っていて、そこに納豆が入っています。納豆の上にはビニールのシートがかぶせてあって、熱処理されたような形で同じスチロールでふたがされています。そういう素材が3つ重ねてあって、それを束ねるためにまた塩化ビニールのようなもので巻かれています。どこにも有機JASのマークがついています。これを先月、イギリスのソイルアソシエーションという認証機関のマネージャーに見せたところ、彼は目を白黒させて「これはオーガニックじゃないよ」と言いました。
オーガニックというものには、基本的なオーガニック理念があります。先ほど申しあげたような容器は燃やすと、間違いなくダイオキシンを発生させます。まだゴミの完全分別ができていませんから、消費者の中には燃えるゴミの方に出してしまう方もいらっしゃると思うのです。ということは、オーガニックの原則として、危険な化学物質は用いない、という理念があるにもかかわらず、ダイオキシンが再び農地にふりかかるという事態が発生しかねません。ですから、これはオーガニックとは言いがたい。どうしてこんなものができてしまったかというと、複合的法体系が存在しないからなのです。まずそういうパッケージをやめて消費期間を短くする、おそらく短くしなくても大丈夫な方法もあると思うのですが、紙の容器、例えば昔のアイスクリームカップのようなものですね、ああいったもので代用する。もちろんそうされているところもあるのですが、いの一番に登場してきた有機JASマーク付きの物がそんな物だったのです。これが、先ほどのJASは信じない、という言葉につながるのかなと。意識が全然違うのです、日本のメーカーの方と。このメーカーの形でいけば、ヨーロッパではオーガニックとは認められません。1つの法律だけを、よそを模範としてつくってしまうとこういうことになりかねません。
そして生産者・消費者双方に向けた広報活動もとても重要です。この2つの現在非常につながりの薄い、2者をつなぐ制度がオーガニックの認証制度というインフラなのです。
実情にあわせ、柔軟に改善する姿勢。ヨーロッパの認証規定には、半年に1回くらいの割合ではないかと思われるほど、非常に何度も改訂が入っています。新たなものはどんどん取り込んでいく。例えば10年前は技術的にできなかったことも、今ではいろいろわかってきてできる、というのであれば変えていこう、そういう姿勢です。恐らく、後ほど触れられるかと思いますが、昨年2000年より畜産物に関してもオーガニックの基準が設けられています。ここまで来るまでにも細かい改定をどんどん加えています。「1回決めてしまったもので、これでなくてはだめだ」という官僚的姿勢はこういうインフラを作るという作業には全く向かないと思います。
ポリシーをもった助成措置。これも大切です。こうしたインフラを整備するのにかかる費用は誰が受け持つのか。生産者と消費者だけでいいのか。インフラなのだから国家の基盤なのです。国家がきちんと負担すべきです。
制度を作っていく上で危険なことは、これまでの既得権をもった層がノーと言い出すこと、また新たな利権が発生するということ、これらをきちんと阻止していかなくはなりません。言葉のほんの少しの解釈の仕方などで、理論的にはできるものをできないと言ってしまったり、そういうことで利権を持つ方を守ったりしようということを、日本の官僚の方はよくされますね。オーガニックの制度と言うのは消費者のためであり、生産者のためのものであるはずですから、両方からよく見張っていかなくてはなりません。
そして最後にこれはまだEUでも言われていないと思うのですが、植民地的搾取農業の排除、すごく難しい言葉を書きました。オーガニック農業は労働コストが高いということを最初で申しあげました。それでは後進国に持っていって、安い労働力でやればいいじゃないか、というのはよくある話なのです。しかし、その土地の人々が口にしないものの場合、つまり供給側である作っている人たちが理解していない場合、その信用制度に適合していないものが作られる危険が非常に多いということです。また、後進国(言葉が悪いですが)では子供が労働するということも問題として挙げられます。当然コストが安くつきますから、可能性としては十分ありえます。保護主義的という意味ではないのですが、自分たちの国の環境を守っていこうというオーガニック。もちろんそこから発展して地球全体のことになるのですが、植民地的な、プランテーション農業的なものを使ってオーガニックを推進するのはいかがなものか、こういうふうに考えています。
こうした制度をEUでは10年前に整備し、どんどん改定を加えマーケットが成長してきました。私たちはそのような制度を日本に紹介し、広めていこうと活動しております。
どうもありがとうございました。
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